アルゼンチン生活

アルゼンチン生活

〜赤ワイン〜

のんびりと、そしてダラダラとしたヒモ生活は続いた。

僕らは、毎夜ドラマを見るようになった。

海外のドラマも見たかったが、スペイン語を完璧に理解できるわけではなく、彼女も日本のドラマを見たがっていたため日本のドラマを見ることにした。非合法なのか合法なのかわからないが、ラテンアメリカにはネット上に多くの日本のコンテンツが流れている。アルゼンチンのグーグルで「anime japones」「drama japonesa」で検索すると様々なアニメやドラマ・映画がアップされていて、どれもスペイン語字幕付で見ることが出来た。スペイン語字幕のない映画は、英語字幕で探した。

アルゼンチンでは赤ワインと肉だけは安い。スーパーに行くといつも同じ事を感じる。僕らはスーパーマーケットでいつも赤ワインを買っていた。彼女が次の日仕事がないときは赤ワインを飲んだ。彼女は赤ワインが好きで、買うのはいつも赤ワインだった。赤ワインを飲みながら、ドラマを見て、僕は一人で感動して泣いていた。それを見て彼女は笑っていた。

ワインを飲んだくれて、眠って、外を散歩して、微妙にヨガや体操をして、日本語を教えて、微妙にスペイン語を勉強して、そしてベラベラベラベラと話を続ける。そんな日々が続いた。僕はこの生活に完全に慣れていた。

この生活に慣れてきたことで、妙に体が重いことに気づいた。でも、考えてみれば当たり前のことだった。家でもレストランでも、炭水化物をほとんど食べず肉を食べる。ワインを飲む。そして食事時間が日本と比べて不規則。今まで行ったどこの国よりも、日本と違う食生活すぎて、健康に悪い事は分かっていたけれど、あえて自分なりの食事をしようとは思わなかった。肉は美味しいということもあるけれど、それ以上にこの国に入り込みたかったという理由からだった。

ピカード

ここで生活をしていることで段々とアルゼンチンはヨーロッパと全然違う部分も見えてきた。ここはバンパで生活していたガウチョの国。どこかカウボーイのような、アメリカ的な粗野な部分が見える。レストランでフォルクローレを聞いたときに感じた。
また、この街はスペインとはまた違ったかわいらしい建物が多い。アメリカ的なヨーロッパ的な、でも、アメリカでもヨーロッパでもない、見たことがあるようで見たことがない、僕の中での新しい国だった。

マルデルプラタ

ラウラさんと僕は毎日毎日子供のような会話をしてじゃれあっていた。毎日毎日、自分が子供になった時のように、いい年をしながら外でも家でも馬鹿みたいに遊んでいた。時に冗談を言い合い、時に真面目な話をしながら、毎日を過ごした。
彼女がゆっくり話してくれるようになったせいか、僕が慣れたせいか分からないが、段々と彼女のスペイン語も理解できるようになっていった。



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移動するわけでも観光するわけでもない日々は続いた。僕は近くの教会へ、カテドラルへ、そして寒くなってあまり人がいないビーチへ、ほぼ毎日散歩した。

ここでの生活は居心地がよかった。むしろ、居心地がよすぎた。
居心地が良すぎるがゆえに段々と刺激が欲しくなった。思えばこの旅でずっと、いい人に囲まれてストイックさを失っている。幸せすぎて、弱くなっている。だが、幸せな状態から抜け出したくはない。こんなにも素敵な出会いの数々を否定したくはない。

刺激があれば安心したいと言い、安心すれば刺激が欲しいという。

でも、アルゼンチンでアルゼンチン人と一緒に生活して、アルゼンチンの料理を食べて、アルゼンチンの街を歩いて、アルゼンチンの空気を吸う。これだけでも十分だった。

散歩しながら、こういう矛盾することを考えた。
ポジティブなこともネガティブなことも、楽しみなことも不安なことも、いい事も悪いことも考えた。

僕は自分の日記をスペイン語に訳して彼女に話すということを続けていた。そしてそれについて色々なことを話し続けた。それはもう、スペイン語の勉強ではなかった。日本にいるときと同じように、信頼できる人と話をしあうことがこれだけ幸せなことなのだと、改めて知った。

そしていつものように彼女は話を聞き続け、色々なアドバイスをくれた。彼女は僕のことを常に気遣ってくれ、時に子供のようになりながらも年上らしく、しっかりとしていて、頭がよくて、僕がなりたい人間像だった。

彼女へは感謝という感情を超えた。僕は彼女を完璧に信頼し、家族のように大切な人だと思えてきた。もし、僕に、日本にいる大切な人がいなかったら、どうなっていたか分からない。でも、僕にはこの人以上に、というよりもこの世界でだれよりも大切な人がいる。それは忘れることが出来なかった。

彼女はもはや僕にとって家族同然の存在だった。僕はこの素晴らしすぎる出会いに感謝した。それを彼女に言うと、彼女は頬をすり寄せて「うれしい」と言った。僕はもう、このラテンアメリカ式の挨拶に慣れていた。



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流れるように時は過ぎていった。僕はここから去ることを想像もできないでいた。

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