ウルグアイ旅行記



~音楽がよく聞こえた日~

モンテビデオには数日滞在した。ブラジルビザを受領できるまでの間、滞在するしかなかった。観光するにもモンテビデオは小さな街であり、また、普通のラテンアメリカの街だった。旧市街があり、新市街があり、教会があり、広場があり、特に何かすごいものがあるわけでもなかった。

さらに、モンテビデオでは毎日雨が降っていた。毎日空が暗い。この天気と、やることがないこと、旧市街にはあまり人がいないことで、僕の気分は暗くなっていった。

鈴木君と僕は一緒に行動する事はほとんどなかった。僕は一人でいたかった。仲が悪いと言うわけではないけれど、僕は少しだけ誰かと一緒にいることに疲れ始めていた。だが、当然のように夜は二人とも宿に戻る。宿はホステルを作るためにウルグアイ人の若者がガヤガヤと会議のようなことをしながら、ワインを飲んだりしていた。

「今日、お酒があるみたいなんですけど、、、、」鈴木君は唐突に僕に行った。

僕はお酒を飲んだ。ラテンアメリカには当たり前にある、インドにもある、ネパールにもある、というよりも世界中どこにでもある、でも日本にはないお酒。そういえば噂では聞いていたが、僕はこの旅でこのお酒を飲んでいなかった。別に飲まなくてもいいけれど、ラテンアメリカに来て、せっかくみんな楽しそうにしていて、このお酒を飲まないのもなんとなくもったいなかった。

僕はこのお酒を飲むのは初めてだった。インドで、他の種類のお酒を飲んだ事はあったけれど、それは自然のものであって、ここで飲んだものとは違っていた。

鈴木君と一緒に乾杯し、他のウルグアイ人も一緒に混ざってこれを飲みながら、音楽を聞いた。途中から酔っ払い始め、意識がふわふわとし始めた。なんとなく、ボーっとしながら、みんなで会話をしていた。楽しかった。

部屋に戻り、僕はおもむろに自分の持っていたMP3を取り出し、自分の持っていた音楽を聞いた。泣けるほどに、音楽がよく聞こえる。普段聞こえないような音まで聞こえる。僕は部屋で自分の世界に浸っていた。

すると、鈴木君は僕を呼び、彼と一緒に夜のモンテビデオを散歩した。日本人二人だったから夜の街もそんなに怖くなかった。変な感じだった。いつもよりも鮮明に建物が見えた。 そのまま宿に帰って彼と話をしていた。いつの間にか彼はブエノスアイレスに帰っていった。ほとんど記憶はなかったが、彼と別れの挨拶をした記憶だけはあった。僕は深く眠っていた。



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久しぶりに一人になった。1ヶ月以上もアルゼンチンで現地人にお世話になり、その前はずっとパラグアイで現地人にお世話になり、その前はボリビアで日本人旅行者と一緒にいた。一人の感覚をずっと忘れていた。

この一人の感覚は寂しいものであるが、色々なことを考えさせられるチャンスでもあった。

何もやることはなかった。だが、旅をしている時点で初めから何もやることがないということは分かっていた。一人でいるときは、ネットがつながれば適当にネットをして、地球の歩き方を読んで、散歩して、そして外で食事をしたり、自分でご飯を作ったり、普段の生活とあまり変わらなくなっていった。ただ、唯一違うのは仕事をしていない。お金を稼いでいないということだった。

だが、街を歩き、写真を取ること。そしてそれを日記に書きとめること。これは僕にとって唯一の楽しみであり、そして唯一の仕事とも言うべき義務だった。

モンテビデオ

・・・だが、そろそろ本気で飽きを感じ始めてきていた。もう8ヶ月もラテンアメリカにいる。好奇心を失い始めてきた。

「僕は今、何をやっているのだろう??」形のないことをやっていることに不安がよぎった。自分がやっていることが何の形も残らない。やっぱり、この旅の仕方は失敗なのだろうか?

現地人の家で現地人と同じように暮らすということ、そしてそれが留学でもなく働いているわけでもない。日本人バックパッカーとの交流もほとんどない、これは何なのだ?僕は何をやっているのだ?旅行なのか?生活なのか?スペイン語の勉強なのか?いずれのものでもない。生活と言っても移動に移動を重ねているこの旅行のようなものが生活といえるのだろうか?

僕は自分が言葉にすら表せないことをやっているということに一つの不安を覚えた。

・・セーロ要塞という小高い丘に向かう途中雨が降ってきた。段々と日も沈み辺りは暗くなっていった。僕はこんなことを考えながら、考えすぎながら、雨の中丘を登った。
僕は自分自身に疑問を持たずして生きていけるほど神経が太くなかった。

モンテビデオ

宿に戻りパソコンを開くと、フェイスブックで複数の友達が話しかけてきた。これから会う友達、今まで出会ってきた友達だった。僕は自分のまとまらない考えを話した。すると友達は笑った。そして「あなたは私達が絶対にできないことをやっているの、まだマチュピチュ見てないでしょ?じゃあ、まずマチュピチュを見ようよ」というようなことを言った。

僕はこの気遣いに感謝した。そしてもうちょっと、後悔なくやれるところまでやろうと決めた。今、日本に帰りたくはない。帰ったら幸せかもしれないけれど、絶対に後悔する。

それに、僕はこの旅を続けていく中で、こんなにも素晴らしい人たちと出会えたのだ。

もし現地人の友達がいなかったら、ラテンアメリカは大して面白くなかっただろう。どこも同じような街の作りをしていて、何もかもすべて似ている。独特なのはキューバとボリビアくらいだった。

観光地も多くはない。ウユニ、イグアス、マチュピチュ、パタゴニア、ギアナ高地くらいである。ユーラシアとは比べ物にならないほど少ない。
そして、何故か僕はヨーロッパ、中東、インドの歴史や神話に興味があるが、ラテンアメリカの歴史にはほとんど興味がなかった。

この大陸は大して面白みはないということに気づいた。だが、色々な現地人に囲まれることで、新たな面白みを発見した。どんなに好奇心を失いかけても、どんなに旅行と言うものに飽きてきても、人だけは飽きることはない。僕はここまで旅をしてきて、ラテンアメリカは旅行よりも現地の人間と一緒に生活をすることが楽しいのだという一つの発見をした。

なんども弱気になってしまうけれど、元に戻り、そしてまた弱気になりながら考える。恐らくこれを繰り返してしまうだろう。だが、散々考えた挙句に、結局すぐに元気になる。こういう自分の性格を自分なりに分かっていた。



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ブラジルビザは無事発給された。僕はこのウルグアイからベネズエラ経由でブラジルに入る。これはほぼ南米一周することと同じだった。

僕はブエノスアイレスに向かうフェリーに乗るため、コロニア行きのバスターミナルに向かった。途中すべてのお金を使い果たしてしまい、バスに乗れなくなった。だが、それを見ていたウルグアイ人のおじさんは僕に小銭をくれた。なんの恩着せがましさもなく、極めて自然体だった。相手はいい事をしたと言う感覚すらなさそうだった。

僕はこの上ない感謝をした。まったく誰ともわからない日本人に対してよくしてくれるこのラテンアメリカの自然な優しさだけはどんなに長くラテンアメリカにいても慣れたくなかった。

コロニアからブエノスアイレスに向かった。もはやどうでもいい。考えて考えて考えて、飽きて飽きて飽きすぎるくらい南米を心行くまで旅しようと決めた。

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