アルゼンチン・チリ国境



~雪山を越えて~

ブエノスアイレスに着いたのは夜遅くだった。僕は次の目的地であるチリの首都、サンチャゴ行きのチケットを取りにバスターミナルに向かった。フェリー乗り場からバスターミナルまでは若干の距離があり、夜のブエノスアイレスを歩いた。これでアルゼンチンも最後になると思うと感慨深かった。

ターミナルのカウンターに行くと、偶然にも当日の夜行バスのチケットを取ることができた。そのまま夜行バスに乗り、チリ国境に近い街、メンドーサに向かった。

体が多少痛くなったが、普通に眠ることが出来た。起きると、まだバスは走っていた。バスに乗っている間は基本的に暇だが、ここではアンデスの景色を見ることが出来たため、そんなに暇にはならなかった。「アルゼンチンとチリの国境を越えるときは必ずアンデスの雪山を越えなければならない。」僕は事前に何かの本でこれを読み、雪山を越えながらの国境越えを楽しみにしていた。そして窓からアンデスがうっすらと見えたとき、気分は高揚した。

アルゼンチン・チリ国境

昼12時ごろ、14時間ほどでメンドーサに到着した。降りてすぐにチケットカウンターに向かい、サンチャゴ行きのチケットを取った。出発は14時半だった。

暇をもてあましながら座っていると、帽子をバスに忘れてきたことに気づいた。バスに戻ろうとしたがバスはすでに出発していた。バス会社の名前も覚えていない、チケットも捨ててしまった。

帽子を無くすのはこれで3回目だった。イグアスで無くし、モンテビデオで無くし、そしてここでも無くした。お金としては全部で1000円もしないけれど、自分が身につけているものを沢山なくしてきている間抜けな自分が嫌になった。でもまぁ別にいいやとも思っていた。

インフォメーションで帽子を無くしたと言ってもバス会社の名前も分からなければチケットももう持っていない。どうしようもなく途方にくれながら、あることに気づいた。

「やばい、アルゼンチンペソ持ってない。」

そういえばモンテビデオでウルグアイペソを使いきり、バスではクレジットカードで決済した。ご飯を食べるにもお金がない。そして恐らくサンチャゴに着くのは夜になると思われる。昼も夜も食べないのはさすがにきつい。むしろ、前日の夜もパンしか食べていない。

やりたくなかったが、ATMでアルゼンチンペソを降ろした。

降ろしたお金でビスケットと水を買い、帽子を探そうと頑張った。だが、普通に考えてどうしようもなかった。気がついたら2時半になりそうだった。

忙しい。メンドーサについた時、何をしようかと考えていたが、帽子を探すということだけで時間は過ぎた。いつもいつも暇だ暇だといいながら、なぜか無駄なことで時間が過ぎていた。

サンチャゴ行きのバスに乗り込んだ。車体はバスというよりもワゴンのようなものだった。
乗客は中にすし詰めにされ、ワゴンはアンデスに向かって走った。

走っているとアンデス山脈が段々と近くなってくるのがわかり、僕のテンションは静かに上がっていた。一緒にいた韓国人旅行者とコロンビア人旅行者と話をしながらも僕はずっと窓の外を見ていた。

・・数時間眠った。気づいたらそこは雪景色だった。途中、国境で降ろされ、イミグレでパスポートにスタンプを押してもらった。寒い。ここは山の上。真冬の山の上で税関の荷物検査を待たされ、一つ一つの荷物のチェックを受けた。

あまりに寒すぎてコーヒーを買いに行った。なぜか国境には売店があった。その時に見た景色はすさまじかった。どんな観光地にも負けない力強さがあった。

アンデス山脈

バスは走り続けた。いつものように何時間走っているかはわからなくなり、そしてどうでも良くなった。とりあえずサンチャゴにつけば何でもよかった。旅を始めた頃は辛かった数十時間単位のバスが段々と楽しくなり、最後には別に普通のことになってしまっていた。8ヶ月も同じエリアを旅していれば当たり前のことだった。



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サンチャゴに着いたときには午後11時をまわっていた。

モンテビデオを出発したのが午後5時ごろ、到着したのが午後11時ごろ、30時間か。まぁ、もう慣れた。

バスターミナルから地下鉄で宿に向かった。この宿はドミトリーなのに誰もいない状態で、最高に快適だった。翌日、僕はチリに来てウニを食べると言う一大イベントをこなした。

サンチャゴのウニ

サンチャゴにも友達はいた。僕は彼女に会うために、セントロにあるモネダ宮殿に向かった。

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