ラパスでの生活



〜別れ〜

ラパスに来てから2週間が経過した。

楽しい日々はすぐに過ぎてしまう。はじめはボリビア全体で1週間くらいの予定だったのに、すでに2週間が経過している。そろそろラパスを出たくなってきた。まだ、あのウユニに行っていない。ウユニ塩湖だけは絶対に見たい。

ようやく出るときがやってきた。めぐはチリに向かい、僕はパラグアイに向かう。

出発の前日、ガボとフラビアの家に最後の挨拶に向かった。めぐはガボと連絡を取ってくれていて、夜にフラビアの家に集合することになった。僕とめぐはいつもの郵便局のカフェでまったりして、夕方くらいに出発した。最後のソナスル、あれから2週間、僕は思い出すようにミニバスにのり、中継点のサン・ミゲルに向かった。

サン・ミゲルからのミニバスはどれも一杯で乗れない。タクシーすら通らない。最後の最後まで意味不明な冒険のようになり、30分ほどミニバスを探した。二人ともタクシーだけはのりたくないという無駄な意地を持っていたが結局最後にはタクシーしか行くすべがなく、僕らはハイテンションでタクシーを捕まえた。

フラビアの家に行くと、みんな若干テンションが低かった。どうやら工場で従業員に事件があったようだ。経営者として心配なのだろう。以前のフィエスタのようにはいかず、すぐに帰る空気が流れた。僕とめぐは空気を読み、記念撮影と、プレゼントだけ渡して帰った。ガボとフラビアはミニバス乗り場まで見送りに来てくれた。握手とハグとベシードを繰り返し、僕らは彼らの家から去った。

そのまま、僕らは韓国料理を食べに行った。そういえば、めぐとも明日で別れることになる。フラビア一家とジェシカ一家との別ればかりを気にして横にいた日本人との別れを完全に忘れてた。と言っても、お互い旅人同士、これが当たり前なのだ。いつどこでどういう形で再開するかもしれないししないかもしれない。それは旅人の宿命というか、普通のことなのだ。

韓国料理屋で美味しい韓国料理を食べ、ビールを飲んだ。そしてそのまま、セントロにある居酒屋のようなカフェのような所でまたビールを飲みながら話を続けていた。話しはくだらないことから旅のこと、また、自分たちの考えのことだった。僕がほとんど知らないめぐの友達のことでかなり悪口を交えながら話をしていた。僕らは考え方に共通点があるので一度誰かの悪口を言い出すとどんどんと盛り上がってしまうと言う悪い癖を持っていた。

最後にめぐはウユニが寒いということで、冬用のジャンパーとジャージとなぜか水をくれた。旅の物資としてありがたくもらった。僕は何か感動的な手紙でも書こうかと一瞬思ったが、やめてポストカードに似てない似顔絵を書いてプレゼントした。(そういえば旅の出発の日、成田でS殿にも折り紙に似顔絵を書いてプレゼントした。S殿の名前もめぐみだった。)



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翌日、ジェシカ一家と別れを告げて、めぐはバスターミナルに向かった。僕は夜の便だったので先に出る彼女を見送りに行った。もしかしたらパラグアイでの3度目の再開もあるかもしれないというような話をした。そしてハグをして、極めてあっさりと別れた。次にパラグアイで再開するのか?ちょっと考えたら面白そうだったが、お互いの予定があるためどうなるかはわからない。これも旅人として当たり前のことだった。

一度家に戻り、ジェシカ一家と別れを告げた。そんなに多く絡んだわけではないけれど、家に泊まらせてくれたことに感謝した。

家を出て、いつもの郵便局のカフェでネットをしていると急に寂しくなった。「あぁ、別れはいつでもやってくるんだな。」自分で納得しながら次の街に期待した。

ウユニ塩湖、、、、、、鏡は見れるのだろうか?

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