ドイツ治験





~2013年~

デュッセルドルフのライン川沿いにこだまする無数の花火から2013年は始まった。ドイツ人が皆個人で花火を上げ、騒ぎながら新年を祝っている。初めてヨーロッパで新年を迎えて日本とは全く違う新年の祝い方を見た。

そして、この花火を見て今年も大丈夫と確信をした。

僕は年の初めからただただ幸せだった。



2013年、一番初めにやることは治験という大仕事だった。僕は旅の資金がつき始めているため、また日本に帰ってからお金がなくてすぐに仕事をしなければならないという状態を防ぐため、旅で知り合った親友からドイツの治験を教えてもらっていた。

年末に説明を受けた僕は新年早々治験の事前検診を受けに行った。元日の夜中に喘息が出ていた僕は事前検診の前日、ゆっくりと熱いシャワーを浴びて、ヨガをやって、毛布をたくさんかけてとにかく体温を上げた。何故か昼間にはまったく出ず、しかも体調もそんなに悪くないのに夜中にだけ喘息が出るのは、おそらく眠っている間に体が冷えているからだろうと勝手に推測した。

僕はその日夜10時にはヒーリングミュージックを聴いて、ゆっくりと眠ろうとした。だが、やはり体のサイクルが合っておらず、眠っているのか眠っていないのか夢うつつの状態は続いた。

気がついたら朝6時ごろになっていた。事前検診の前は絶食状態にしなければならない。僕は何も出来ず、ただぼーっとしていた。当然のようにドイツも日が昇るのは遅かった。ただ、喘息が出ていないのは救いだった。もともと治験の募集要項に「喘息の人は治験をうけることが出来ません」と書いてある。普段出ないから問題ないと思っていたのに、この数日間でこんなに喘息がでることを悔しく思ったが、まずは喘息がでないようにすることに全力をあげようと前向きに考えた。その結果、とりあえずなんとか通常のコンディションを取り戻した。

体調は悪くない。僕はそのまま病院へ向かうトラムに乗った。

–--

病院にはまだほとんど人がいなかった。僕はとりあえず椅子に座り、ドクターと日本人のコーディネーターが来るのを待った。Pという名がつくこの病院は設備も万全で、治験をして自分の体に問題が起こるということは考えにくかった。僕はただただ、旅費を稼ぐことだけを目的としていた。なんとか喘息がばれないようにしなければならない。

30分ほどでドクターと日本人コーディネーターはやってきた。僕はコーディネーターとケルン大聖堂やヨーロッパ史などについて雑談をした後、事前検診を受けた。ドクターの軽い質問から始まり、身長・体重を図り、尿を検査し、採血をして、アルコール検査をして、心電図を測り、、、、、、とかなり綿密に検査をしていた。僕はドクターが「アレルギーはあるか?」という質問にまゆ一つ動かさずに「ノー」と答えた。その後の肺の呼吸を調べる検査で、僕は喘息がばれないようにあえて空気を大きく吸い込まずにドクターに注意されていた。

ごく普通に事前検診は終わった。翌日に結果が出る。自分と同じように治験を受けに来た日本人の人たちの話を聞いていると落とされることは稀だということが分かり、僕は少しだけ安心した。

これで合格すれば僕は次の日にはシェンゲン協定外に飛ばなければならない。とにかく何が何でも3日間はどこかシェンゲン協定外に出て、オーバーステイをしないように調節しなければならない。だが、年末にメモ帳に貼り付けたスカイスキャナーのURLはエラーになり、その時に見つけたチケットは売り切れていた。

新しいチケットはどれも25000円程度とかなり高額であり、買うのにはかなり勇気のいる値段だった。シェンゲン協定という旅人にとってただの面倒でしかないこの協定をうらみながら、僕はいろんな手段を使って、デュッセルドルフから、ケルンから、ドルトムントから、、、とありとあらゆる方法を試したがどうしても見つからなかった。治験に合格するかも分からない。当日のチケットは売っているのだろうか?また当日の朝には結果は出ない。そのため夜の便しか乗ることは出来ない。

シェンゲン協定加盟国とEUの滞在許可システムだけは無駄に詳しくなっていった。

・・・次の日、ドクターはあっさりと「エブリシングイズファイン」と笑顔で言った。

そのまま当日のイギリス行きチケットを25000円で買うか、あきらめてオーストリア180日出国に賭けるか迷っていたとき、治験の日程表をみると、治験の途中に3日間開いている日が他にもあることに気がついた。僕は即刻この日に外に出ていいかをコーディネーターに確認し、スカイスキャナーを使い、デュッセルドルフ~ロンドン間のライアンエアーのチケットを取った。往復で30ユーロもしないこのチケットは荷物を病院において出発し、荷物を機内に預けなくていいためその料金がかからない、というメリットがあるからこそ出来る値段だった。

いずれにしても僕はようやくシェンゲンの道筋を見つけ始めた。あとは治験が始まるまで病院でゆっくりするだけだった。

TOP      NEXT


inserted by FC2 system